古き良き時代の話
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昔、成田からマニラに格安で行くのに、
パキスタン航空という選択肢があった。
サーチャージなる悪習の無い時代で往復4万円弱だった。
但し金曜と火曜の週2便しか飛んでいなかったが、
そのパキスタン航空で毎月マニラ通いする好き者がいた。
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成田発が夜でマニラ発が早朝なのを利用して、
「営業に行って来ます」と金曜の午後に会社を抜け出す。
日暮里駅のコインロッカーに予め入れて置いた荷物を取り、
代わりに仕事で使うカバンを放り込んで成田を目指す。
金曜の深夜にマニラに着くと安宿にチェックイン。
部屋に荷物を置くと着替えもせずに街に飛び出し、
その宿から徒歩で行ける歓楽街に突撃する。
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当時のフィリピンはネットカフェはほとんど見かけず、
携帯もかなりの高額で簡単には購入出来なかったため、
その男は月曜の朝に近場の大きなホテルに出かけた。
外国人が多く利用するホテルに設置されていた、
国際電話が可能な公衆電話で会社に電話をし、
体調不良と嘘をつき有給扱いにしてもらう。
ナンバーディスプレイが無かった時代が幸いし、
男は月曜日の深夜までマニラを満喫する。
そして火曜日の便で昼過ぎに成田に到着。
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日暮里のコインロッカーに旅行かばんをしまい、
金曜日に預けたカバンを手に会社に向かい、
「営業で回ってました」と言い訳して午後に出社。
日本もフィリピンも今より大らかな時代だったな。
マニラの歓楽街に朝鮮人の姿も無かったしなぁ。
尚、その好き者はズル休みを繰り返していた会社を辞め、
現在消息不明とのこと。
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余談だがパキスタン航空の航空会社コードはPIA。
“Perhaps I Arrive”
「おそらく私は(目的地に)到着できるだろう」と揶揄されていた。
昔、成田からマニラに格安で行くのに、
パキスタン航空という選択肢があった。
サーチャージなる悪習の無い時代で往復4万円弱だった。
但し金曜と火曜の週2便しか飛んでいなかったが、
そのパキスタン航空で毎月マニラ通いする好き者がいた。
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成田発が夜でマニラ発が早朝なのを利用して、
「営業に行って来ます」と金曜の午後に会社を抜け出す。
日暮里駅のコインロッカーに予め入れて置いた荷物を取り、
代わりに仕事で使うカバンを放り込んで成田を目指す。
金曜の深夜にマニラに着くと安宿にチェックイン。
部屋に荷物を置くと着替えもせずに街に飛び出し、
その宿から徒歩で行ける歓楽街に突撃する。
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当時のフィリピンはネットカフェはほとんど見かけず、
携帯もかなりの高額で簡単には購入出来なかったため、
その男は月曜の朝に近場の大きなホテルに出かけた。
外国人が多く利用するホテルに設置されていた、
国際電話が可能な公衆電話で会社に電話をし、
体調不良と嘘をつき有給扱いにしてもらう。
ナンバーディスプレイが無かった時代が幸いし、
男は月曜日の深夜までマニラを満喫する。
そして火曜日の便で昼過ぎに成田に到着。
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日暮里のコインロッカーに旅行かばんをしまい、
金曜日に預けたカバンを手に会社に向かい、
「営業で回ってました」と言い訳して午後に出社。
日本もフィリピンも今より大らかな時代だったな。
マニラの歓楽街に朝鮮人の姿も無かったしなぁ。
尚、その好き者はズル休みを繰り返していた会社を辞め、
現在消息不明とのこと。
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余談だがパキスタン航空の航空会社コードはPIA。
“Perhaps I Arrive”
「おそらく私は(目的地に)到着できるだろう」と揶揄されていた。
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